意を考える

意が入る言葉は多数あるかと思います。
・意識(心が知覚を有しているときの状態。)
・注意(気をつける。気をくばること。)
・意味(言葉が示す内容。)

さてその前の漢字をみると
識(物事の道理を知ること)(仏教系もありますが、
この識については似たような漢字の中で「織る」があり
「織る」の左が「言」であるので「言」を縦と横を組み合わせて「何か」を作るのでしょう。
ちなみに織るの意味を見ると機 (はた) で縦糸と横糸を組み合わせて布地を作る。

ひふみ神示内にも、
縦と横という言葉が何か所かあります。

第三十一帖
足のうらをきれいに掃除なされよ。外から見えん所がけがれてゐるぞ。日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。イヅモの神の社をかへて竜宮の乙姫(理由空云の音秘)様のお社を陸(理空)につくらねば、これからの世はうごきとれんことになるぞ。一切が自分であるぞと云うことは例へでないぞ。そなたは、食物は自分でないと思うてゐるが、食べるとすぐ自分となるでないか。空気も同様、水も同様ぞ。火も同様、大空もそなたぞ。山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。人間は横の自分ぞ。神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん。自分をおろそかにしてはならん。一切をうけ入れねばならんぞ。一切に向って感謝しなければならんと申してあろうが。三十一年一月三日。

この辺を見ると心の中に多重次元世界があるという大日月地神示も浮かびます。
(次元が見えてくると立体という言葉も何かが見えてくるかもしれません)

注(そそぐ。つぐ。)
味(舌の味覚神経が飲食物に触れたときの感じ。甘味・酸味などや温度の総合した感じ。)
こうしてみると色々と面白い発見があるのではないでしょうか?

ならばこそ、
意味は個人個人の解釈に基づいているともいえるかと思います。
捉え方が違うとも言えます。