伝える学びについて

大日月地神示後巻には「伝える学び」というのがあります。

「そなた口数多いから嫌われるのじゃ。己出来ておらんのに申すから嫌われるのぞ。まずは何も言わず行えよ。己出来たら人様にありがたく聞いて頂くのぞ。相手に聞いて頂き、己改めて省みさせて頂くのじゃ。整理整頓させて頂き、学ばせて頂くのぞ。言うのではないのじゃぞ。聞いて頂くのぞ。己の言葉を聞いて頂く心育めよ。伝える学びじゃ。お伝えさせていただく大事な学びじゃぞ。」

「心手向けれた者、皆々神示伝えるお役目与えますのぞ。励みなされ。聞いて頂くには聞いて貰える者にならねば、聞いて下さらんぞ。押しつけがましいと嫌われ心閉ざされますぞ。善の悪じゃぞ。聞いて頂けることに感謝なさりてお伝えなされよ。伝えるお役、伝える学びじゃぞ。真の友作れよ。世直しいたすあっぱれ友ぞ。世界中に真の友を作りなされよ。そなたは真伝えて世改めるお役目でありますぞ。命懸けで真の喜びに生きて下され。神、お頼み申しますぞ。素直に聞ける者と聞けぬ者、それぞれおりますから、遅し早しじゃから、競い合うでないぞ。早く分かりた者は、遅くに来る者に親切なされよ。鼻高になると階段踏み外して恥かきますぞ。神示、まだまだ出ますぞ。真伝える縁ある者でねば馬の耳に念仏じゃ。念仏もすでに変わりたのぞ。仏は己じゃ。皆々生きた仏になりなされ。死んだ仏拝む世は終わりたのであるのぞ。死んだ仏、拝んでも世は良くならんのぞ。」

心手向けられた人は、神示を伝えるお役目も頂けるようです。
ひふみ神示で言えば役員という言い方もできるでしょうか。

第五チャクラ(青)は他からのいかなる影響にも左右されず自己を放射する最初の光線であるようです。
共同創造者ともいえるようです。
そう考えるとまた神示を別視点から見ることができるように感じます。

第六密度でいえば光/愛、愛/光、あるいは統合。
その視点で見ても面白いかもしれません。