信念、信念体系

ひふみ神示には信念という言葉が説明されております。

第七十四帖
貰うた神徳に光出す人民でないと、神徳をわれよしにする人民にはおかげやらん。自分が自分で思ふやうになるまいがな。自分が自分のものでないからぞ。自分のものなら自由になると申してあらうが。道を進めば楽に行ける。道行かんで山や畠や沼に入るから苦しむのぞ。神の仕組の判る人民二三分出来たら、いよいよにかかるぞ。未だ未だ改心足らん。神せけるぞ。魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就せんぞ。めぐりのままが出て来るのであるぞ。心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現はすぞ。理屈は判らんでも真理は掴めるぞ。信念と真念は違ふぞ。信念は自分のもの。信念超えて真念あるぞ。任せきったのが真念ぞ。迷信が迷信でなくなることあるぞ。ぢゃと申して信念がいらんのでないぞ。もう待たれんから判りた人民一日も早く奥山に参りて神の御用結構につとめあげて下されよ。世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下されよ。人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ。その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、びっくりが出て来るのざぞ。(一月三日)一二十

第二十七帖
八合目あたりに参ると総ての様子が、ほぼ見当つくぞ。それ迄は誰でもよくわからんもんぢゃ。これと云う先達があったら、先達の云うこと、云う通りについて行けよ。おかしい先達は始めからおかしいぞ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ。信念越えて自分より上のものにまかせきったのが理解であるぞ。信念だけでは何事も出来ん。確信は理解からぞ。


第三十三帖
新玉の 真珠の波も 草も木も 春立ちそめて よみかへりけり。

今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ。よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活 生れる。間違った求めには間違った神、間違った生活 生れるぞ。道理ぢゃナア。窮屈であってはならん。しかつめらしく固くなってゐてはならんぞ。笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢゃ。宿命は宿されたもの。一つのワクに入ってゐるのであるぞ。運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行き詰るぞ。

信念に関する帖をみるとこのような感じになります。
宇宙的(コーリー・グットの話しなど)にみると信念体系という言葉がでています。
この3帖を並べて見てみるととても興味深いのではないでしょうか?