神がかりについて

日の出の巻より、

第二十一帖 (二三四)
神がかりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ、ガカり、かみかかり、か三かかりぞ、(カミ)ガカリぞ、(かみ)かかり、か三かかり、かみかかりざぞ、神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ。神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理 会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ、これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。十二月二十七日、ひつ九のか三。

今回は神がかりについて。
「神がかりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまたな七つに分かれてゐるのざぞ、
ガカり、
かみかかり、
か三かかりぞ、
(カミ)ガカリぞ、
(かみ)かかり、
か三かかり、
かみかかりざぞ、」

神の息吹と合ふと神カカリになれるのぞ。
一二三唱へよ、
祓えのれよ、
神称へよ、
人称へよ、
神は人誉め人は神称へまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。
と書かれております。