考えるということ ~一二三神示より~

地(九二)つ巻より、

第二十三帖 (一六〇)
この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。一九(ひく)れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。のくれのことを申すのざぞ。九月の二十八日、ひつ九のか三。

人間は考えるということをよくするかと思います。
その中で考えるということがどういったものなのかが書かれております。

「考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ」
「考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。」

と説かれております。
神様のやり方は、「考へないで思ふ通りにやる」
考へは人の迷ひであり、考へればいよいよと曇りたものになってしまうということが書かれております。